二人目妊娠中に切迫早産で入院した話

第二子妊娠生活は甘くなかった

2歳差育児の壁は妊娠中からありました。

我が家にとって忘れもしない出来事を振り返って見たいと思います。

一人目も妊娠初期から切迫流産・切迫早産でした。

体質なのか、二人とも安定期のない妊娠生活でした。

二人目の妊娠中も張り止め薬を服用し自宅安静の日々。

長女が1歳6ヶ月の時の妊娠でしたのでお外遊びも楽しくなって来た頃でとても可哀想な思いをさせてしまいました。

幸いにも保育園に通っていたので週に数日は登園しお外遊びをしてもらって、私とは自宅でレゴや粘土、お人形遊びをして過ごしていました。

妊娠30週の検診では子宮頸管が30ミリあった。

子宮頚管も30ミリ、出血も落ち着いていたため、買い物程度の外出の許可がおりました。

近所に住む主人の実家へ数ヶ月ぶりに訪問し、義母の手料理を囲み久しぶりの団欒タイムがとても嬉しかったです。

陣痛が来た場合の段取りなんかも決めて帰宅しました。

突然の腹痛で緊急搬送

帰宅後、お風呂に入り娘を寝かしつけて、ダイニングの椅子に座っていると、お腹が痛い。あれよあれよと言ううちに話せないくらいの激痛に襲われました。

なんとなく産まれそうな気がしてすぐに病院へ行くことにしました。

出産予定の産婦人科は小さなクリニックで37週以降でないと出産ができないため、市内のNICUのある総合病院へ連絡し事情を説明するとそのまま保留にされ相当待たされた。

 

その間にかかりつけ医と連絡が取れて、すぐに向かいました。

(総合病院の電話、切ってごめんなさい)

診察してもらうと子宮頚管6ミリでした。

昼間は30ミリだったのに・・・。そしておしりに注射を打たれました。

先生から「お母さん、おそらくこのまま産まれます」

陣痛を止める注射を打ったけど、周産期医療機関のある総合病院へ転院すると説明を受けました。

振り返ってみると意外と冷静というか、淡々と受け止めていたと思います。

救急車の担架からそのまま分娩台へ運ばれましたがその頃には痛みは消え一安心していました。

結局そのまま入院することに・・・・。

次に陣痛が来れば止められないこと、もし今日産まれなくても37週になるまでは帰れません。

娘のことが頭から離れない。

他の人になんて任せたくない。まだ2歳になったばかりで、さっきまで絵本を読んで一緒の布団で寝ていたのに。きっと朝起きたら私を探すだろうな。

考えるほど現実を受け止めることができない。

気持ちが全くついていかないのに、面会時間外だったので旦那は帰宅することに。

結局、辛い気持ちと点滴の副作用で朝まで一睡もできませんでした。

我慢強い娘は夜ポツリと「ままぼーいん(病院)」と呟いたっきり何も言わなかったようです。言葉も遅かったため精一杯の言葉がとても切なかったです。

その後も手伝いに来てくれた両親などが一緒に寝ようとすると、「これはままのまくら」と覚えたての言葉で私の居場所を守って来れていました。

産婦人科の入院病棟は11歳未満は立ち入り禁止

各階に面会フロアーが設けられているが感染予防のため病室には入れない。

私は部屋のトイレ以外は行動制限をされていたため、しばらく娘に会うことができなかった。

それても、動画を送ってもらったりfacetimeで通話したり、これほど現代のテクノロジーに感謝したことはありませんでした。

入院生活の中で娘と会えたのは2回だけ。帰り際は毎回泣き叫ぶ声を背中に浴びながら車椅子で病室へ戻りました。

 

34週で無事退院!

娘に会いたくて毎日泣く私に先生から34週で退院許可がおりました。

お腹が張りやすいけど産まれにくいタイプなこと

実家の両親が手伝ってくれること

私の自宅が病院と目と鼻の先(リビングの窓から見える)のため、陣痛がきてもすぐに対応できること。

娘がまだ小さいこと

34週で赤ちゃんの肺機能がほぼ完成し、産まれてきても自力で呼吸ができるため

 

次女は予定日に計画分娩で無事出産

退院後、自宅で安静にし37週を超えた頃、初めに出産予定だった産科へ出戻りをしました。どうしても和痛分娩で産みたかった。

あの状況で戻ってきた人は初めてと先生はとてもびっくりしていました。

 

妊娠は最後まで何があるかわかりません。

振り返ってみると、お腹の赤ちゃんのこと、娘のこと、気持ちの整理がつかないまま目のことに必死でした。娘と離れていた期間を埋めることもできないまま次女が生まれ、そのまま私の二人育児がスタートしました。

自分を責めてしまうこともありますが、今はとても仲良し姉妹だし長女もまっすぐと育って来れています。

今思えば、上げ膳据え膳もあれが最後、もっとネットフリッグス見たりブログ書けばよかったなーと思っています。必ず終わりがきます。もっと楽しめばよかったです。

 

長文乱文、最後まで読んでいただきありがとうございました。